「ソーシャルバリューを確立する」
経営理念の一つにそうかかげていたFacebookは、いまや、世界最大のSNSとなり、全世界の半分以上の国で、登録を義務付けられているほどだ。
当初の形よりもさらに進化し、Facebookは、コミュニケーションをはじめ、家事、消費、学校や企業、食事、娯楽、交通、ありとあらゆる生活のすみずみまで組み込まれた。
国民全員が登録することによって、SNSの場は、よりリアルさを増し、ネット上にあるというだけの違いで、ひとつの”社会”を作り上げたのだ。それによって得られる利便性は、何物にも代用はできなかった。
しかし、問題点も少なくはなかった。
第1に、「Facebook鬱」の被害が加速した。
Facebook鬱というのは、フィードに表示される(実際よりも楽しそうに演出されているかもしれない)友人や知人の様子みて、自分と比較して落ち込んでしまうという状態が続いてしまうことだ。ひどくなると、イライラしたり眠れなくなったりと、様々な症状が出てしまうこともある。
Facebookを義務化したことにより、潜在的に比較をしてしまう傾向がある人を、新たにFacebook鬱にさせてしまう確率が上がったのだ。
第2に、Facebook鬱の逆のパターンも見られるようになった。
逆のパターンといってもわかりにくいかもしれないが、「Facebookによって自尊心を満たしている人は、病気にかかりやすい」という研究データが出たのだ。
それによると、「Facebookを数分間閲覧することで生じた自尊心の一時的上昇が、したいことをする権利を得たような感覚を被験者にもたらし、自制心が低下、不健康な食事や生活を好むようになる」のだと考えられるのだそうだ。
その研究結果が、実際の社会で顕著に表れるようになった。Facebook鬱にかかっていない人の70%の平均寿命は、40代から50代の間になってきているというのだ。その死因は、いずれも、なんらかの生活習慣病が悪化した結果であったり、いわゆる、不健康がたたったりというようなものが多い。データとして明らかすぎるほどの事例が出るようになったのだ。
政府も、この2つの問題を無視しているわけにはいかなかった。
「何らかの対策をしなければならないでしょう」
全世界中でそう叫ばれ、様々な議論がなされた。
そして、世界はひとつの結論を導き出す。
「いまの我々には、一時的にでも、Facebookを廃止する以外にやむを得ない」
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