2013年3月30日土曜日

コンクリート


あいつはまた呆けていやがる。



「ちんたらやってんじゃねえよ」



はっとして、すみません、といったそいつを、周りのやつらがからかう。



この工場では、ある部品製造をしていて、私はその現場監督だ。
  
基本的に優秀な技術者が集まるのがここだが、どういうわけかあいつが混じっていた。どうしてああもとろいやつがここへ来ることになったのか、納得できるように説明してもらいたいものだ。



「自分の仕事を分かっているのか。ここはへたな妄想をするところじゃないんだぞ」

「はい。すみません」

「例えば、このコンクリートは、工業生産における必需品だ。その技術は、俺たちがいなければ世に送り出すことはできないんだぞ」

「はあ」

「わかっているのか。とにかく仕事のスピードを上げろ。いいな」

ぼやっとした顔で、分かりました、と言ったあいつは、そのまま仕事に戻る。私たちの仕事は、今の社会になくてはならない。手を抜かれては困るのだ。



しばらく経って、あいつの姿を見なくなった。

聞くところによると、数か月の休暇をとったらしい。ただでさえ人手が多いわけではないのに、なんて非常識なやつなんだと思った。






その一報が入ったのは、あいつのことを忘れかけていた時だ。



テレビに映っているあいつは大勢を集め、美しい何かを持っていた。
 
Photo by Thomas Hauser

「コンクリートは、工業生産における必需品以上の、高貴な何かになれるはずだと思ったんです」



そう言ったあいつの目は誇らしげにみえた。




初めて恋をした時の話をします



その日、僕は恋をした。

それは友人宅でバースデーパーティをしている時だった。一目見た瞬間に、彼女しかいないと思い、隣にいた友人に名前を聞いた。



彼女は、僕みたいな冴えないやつにもよくしてくれた。

学校で合えば挨拶をしてくれるし、集まりがあればいつも話しかけてくれる。恋愛経験があまりない僕にとっては、それだけでも幸せなことだった。



大学の学食で、あまりにもきれいに笑う彼女に呆けてしまっていて、目があってしまったときは、冷や汗をかいた。

しかし、そんな時も彼女は、「そのシャツかわいいね」と帰り際にいい、去っていったのだった。好きにならないわけがない。



ある日、僕は彼女のメールアドレスを聞くことができた。

最初は―――というよりいつも―――僕はドキドキしながらメールを送って、やりとりが何件も続いていくのが楽しくて仕方なかった。

幸せだった。

冴えない大学生活が彩り始めた。僕は勝ち組だとさえ思った。



それから僕は毎日彼女にメールを送った。

そっけないときもあったけれど、彼女はいつでも感情的で、メールを送るこっちも楽しくなった。



しかし、近頃は、あちらからの連絡はほとんどなくなり、返信も短くなってしまっていた。何かがおかしい。彼女は僕に気があるものだとばかり思っていたのに。

僕は、彼女をハメようとしている男がいるのではないかと疑った。そうして、その男の正体を暴くためにも、僕はめげずにメールを送り続けた。君は騙されているんだ、とストレートには聞かない。僕は頭を使い、彼女が傷つかないように、慎重に何度も探りを入れたのだ。



そうこうしている間に、何故か彼女は、学部を変更し、別のキャンパスに移ってしまった。



信じられなかった。どうして。僕に一言も声をかけずに。



しばらく僕は放心状態だったが、つい先日、一通のメールを送ることにした。はったりだが、彼女の気持ちを動かすには十分すぎるくらいのメールだ。



「君が僕に恋をしていたのは分かっているよ。まあ、それを認めない理由も明白だったけどね。まず、僕はあのとき彼女がいた。でも、僕はいま独り身なんだよ」



これでいい。彼女のことは僕が誰よりもわかっている。だって、君は気付いていないだろうけど、君のことを誰よりも見ているのは僕だからね。これからもずっとそばにいるよ。





2013年3月26日火曜日

誰か翻訳して



そもそも「死ぬ」という言葉の定義はなんであったのか。



息をしなくなったら「死」だろうか。



呼吸が止まった場合でも、髪や爪は一定期間伸び続ける。それは「生きている」と言うことではないのか。あるいは、心肺脳すべての機能が停止したとして、その身体に残る微小な生命活動は、「生」と呼ぶことはできないのか。



それを「腐敗」であるというのなら、私たちは生まれた瞬間から、「腐敗」しはじめている。

結局は「死」というひとつの点に向かって動きつづけているということは、それをある地点までは「成長」と呼び、ある地点からは「老化」と呼ぶのは、いささか間違っている。

時間は「腐敗」に向かって一直線に進んでいるのだ。




定義されうる「死」というのは、単にその「腐敗」のスピードが上がる点だ。






では、生まれるというのはどういうことだろう。命の誕生は「いつ」であると定義できるだろう。



中絶問題でもかなり議論されるところではあるが―――受精したポイントか、胎児がある程度大きくなってきた時期か、母親の身体から切り離された時か―――。



ここでは別の見方をする。



例えば、ひとつの受精卵があるとしよう。

それは、ひとつの(あるいはふたつの)精子とひとつの卵子でできている。

受精卵になる前、精子と卵子はそれぞれ父と母の身体の中に存在していたものだ。

その精子と卵子は、精子と卵子になる前、本人の口から摂取されたタンパク質、食べ物であった。

食べ物とは、この場合、肉や豆になる。肉や豆とは、例えば豚や植物だ。

豚を例にとると、豚はその昔、精子と卵子であった。

精子と卵子は、もともと、豚が摂取した栄養源だ。植物や小動物、昆虫である。

小動物や昆虫も同じように見て行くと、最終的には植物になる。

植物の栄養源は、二酸化炭素と太陽光―――。






ここに仕切りはなくなる。



どこからが命で、どこからが命ではないなどというのは、あとで誰かが勝手に決めたものだ。



すべては最初から存在している。



存在する可能性が元からあったものが、セックスして、目に見えるように形になっただけなのだ。命は、時の始まりから終わりまで存在している。精子という形で。豚という形で。二酸化炭素という分子で。太陽光というエネルギーで。どこからが始まりでどこからが終わりかというのは、ときに恣意的だ。



話を戻すと、「腐敗」という活動においても、姿かたちは変われど、そこにあるものは変わらない。例え「身体」という形がなくなってしまっても、宇宙にはそのエッセンスが文字通り散らばっている。



ここに、命は「死ぬ」ことはないし「生まれる」こともないと宣言しよう。時の始まりから、すべての要素は存在していて、時の終わりまで、ただ形を変え続けるだけなのだ。

復讐



「行ってきます!

「ちょっと。また今日も朝ご飯食べなないの?昨日の夜も、ほとんど食べてないじゃない」

「大丈夫、大丈夫。なんともないよ。じゃあ急ぐから」

そういうと彼女は家を飛びだして学校へと向かった。



高校生の娘は、近頃ろくにご飯を食べていない。

少し前まで大好きだったハンバーグを作っても、見向きもせずに部屋にこもって音楽ばかり聞いている。



主人もそうだ。

夜はどこかで食べて来ているのかもしれないが、朝ご飯、さらに、今までは毎日作ってくれとせがんでいたお弁当も、ここ1年で全くと言っていいほどリクエストされなくなってしまった。いったいどうなっているのやら。



うちで何かを食べるときと言えば―――食べるというより飲むだが―――通販で買ったらしい栄養ドリンクだけだ。娘も主人もハマっていて、それだけは毎日欠かさずに飲んで行く。



心配になって、病院に相談をしに行ったこともあるが、「特に目立った不調が現れなければ大丈夫」といわれておしまいだ。

それでも心配だと念を押すと、「オレンジ社の栄養ドリンクを飲んでいるんでしょう?あそこの商品はかなり評価が高いから、そんなに心配する必要はないですよ」とにこやかに追い出されてしまう。



オレンジ社とは、娘と主人がハマっている栄養ドリンクをつくっている食品会社だ。

私はよく知らないが、その栄養ドリンクをメインとして、インターネット上でかなり話題になっているらしい。



そういうわけで、しばらくの間、彼らを放っておくことに決めたのだが、1年くらいたっても、状況はほとんど変わらないままだ。



今日は、近所に住む友人とカフェに行く約束をしていた。

このことを他の人に話すのはあまり気がのらなかったが、この際やむを得ないので、私は話すつもりでいた。



タイミングを見計らっていた時、友人がふと鞄から何かを取り出す。



「あ。それ」

「え?知ってる?



彼女が持っていたのは、オレンジ社の栄養ドリンクだった。



「これすごくいいのよ。おいしいし、お肌にもいいみたい」



そう言って嬉しそうにドリンクを飲む友人を見て、私は途方にくれた。

まるで、自分以外のみんなが別の国にいってしまったような感覚で、怖くなって、私はその場から逃げだしてしまった。どうすればいいのだろうか・・・。









「それにしてもうまくいきましたね」

「ああ。やはりこの計画は完璧だった」



その頃、あるプログラマー2人が嬉しそうに話していた。



「こんなにスマートなやり方があるとは思いもしませんでした。さすがです」

「なに。君の技術があってこそできた話さ。これからも上手くやっていこうじゃないか」



この2人こそが、オレンジ社の創業者であり、栄養ドリンクの仕掛け人でもあった。



「まさか起業1年でこれほど大きなビジネスになるとは」

「当然だ。今の時代、インターネットで音楽を聞かないやつらの方が少数派だ」

「違法ダウンロードされている音楽・映像コンテンツ、そのすべてに、特殊な電磁波を発するウイルスを取り付ける。ダウンロードしようものなら、PCもろとも徐々に浸食して、ユーザーの脳波、つまり考え方そのものを洗脳してしまう。・・・何度繰り返してもぞくぞくします」

「はは」

「あの"栄養ドリンク"、あれがただのトマトジュースだなんて、誰も思わないでしょうね」

「そうだな。いかなるコンテンツもネット上で手に入ってしまうその利便性に慣れたユーザーは、食事でさえも簡略化し得るということだ」

「これこそ完成されたターゲットマーケティングですよね。もちろん、洗脳ありきですが」

「感謝しているよ」

「こちらこそ」



「ところで、どこか飲みにでも行かないか」

「いえ、せっかくなんですが、今日は妻とゆっくりします」

「そうか。幸せそうでいいな」



「これ、何本かもらって行ってもいいですか?



そう言うと彼は"トマトジュース"を指さす。



「いくらでも持って行くといい」



「よかった。では、また今度飲み行きましょう。お疲れさまでした」



「ああ。おつかれ」



にやりと笑う男の心中が、まだ彼にはわかっていなかった。

2013年3月25日月曜日

浦島太郎



昔々、浦島太郎が海へ漁に出ようとしていたところ、何人かの子供が何かを囲んで面白がっているのを見つけた。

何かと近寄って見ると、少年たちが囲んでいるのは亀であった。

棒でつついたり、蹴飛ばしたりして、その様子を楽しんでいるようだ。



突如浦島は使命感に駆られ、一喝して、子供たちを追い払い、亀を海へ帰してやろうとした。すると、どこからともなく声が聞こえ、みると、亀が話しているではないか。

「助けてくれたお礼がしたいのです。私と一緒に竜宮城へ来ていただけませんか」

これは面白いと思った浦島は、亀と共に竜宮城とやらへ向かうことにした。



竜宮城に着いた浦島は、この世のものとは思えないほど美しい姫に迎えられた。現実感のない美しさであるにもかかわらず、どこか懐かしいような感じがした理由は、浦島にはよくわからなかった。



「私の可愛い子供()を助けてくれてありがとう。どうぞ、ここでは面倒なことなど全て忘れて楽しんでいってください」



もてなされるままに浦島は連れられ、豪勢な食事、大勢の美女、毎日なんのしがらみもない生活を送ることになった。

これまでしたこともないような贅沢であったにもかかわらず、何故か浦島には、自分はこうするべきだったのだ、という気がしていた。



ある日浦島は思いたった。

「姫。外の世界が見てみたい。近くの海をまわって、素晴らしい景色を見ることはできないか」

「はい。では、私と一緒に回りましょうか?

姫はクスリと笑うと、ふわりと浮かび、浦島の手をとる。



「浦島。ひとつ言わなければいけないことがあります」

そういうと、姫の身体はみるみる変化して行き、いつかの亀の姿になっていた。



「実は私が、あの時の小亀なのです。黙っていてごめんなさい」

再び姫を見ると、そこにはすでに亀ではなく、こちらを申し訳なさそうに見ている美しい姫がいた



「そんなことは関係ない。俺は変わらず姫が好きだよ」

姫は嬉しそうに笑い、下を向いて照れていた。



そのまま浦島と姫は世界中の海を回った。目が覚めるように透き通った海もあれば、一筋の光と真っ暗な深い世界もあった。姫は浦島の手を引き、浦島はその手を握り返す。



それから2人は今までよりももっと愛し合った。

永遠に続く時間の中で、お互いのことだけを考えて過ごした。



しかし、浦島は少しづつ不安になってきた。

しばらく会っていない、友人たちは元気にしているだろうか?

父と母は、ちゃんと生活ができているのだろうか?



これまで考えることがなかったのも不思議だが、浦島は最近ようやく、そういったことを考えるようになっていた。



それを姫にいうと、いつもばつの悪そうな顔をして、

「本当にそう思われるのですか?

と言うのだった。



それ以上きくことはなかったものの、やはりいてもたってもいられず、ある日姫を問い詰めた。

すると泣きながらこう言うのである。



「浦島さんは、帰っても幸せになれないかもしれません。大切なものは、みんな変わってしまっているのです」



浦島は怒った。姫は、自分を帰したくないばかりに嘘をついているのではないかと思ったのだ。



姫は相変わらず泣いていたが、とうとう折れて、浦島は地上へ帰ることになった。



いよいよ出発の時に、姫は弁当くらいの大きさの箱を、浦島に渡した。



「もし、また私に会いたくなったり、辛いことがあったりしたら、この箱を開けてください。きっと良いことがありますから」



そのあと、浦島は、姫に別れの言葉を言い、何事もなく地上に到着した。



浦島が初めに目にしたものは、信じられない光景だった。

あまりにも異世界で、言葉では語りつくせなかったが、それは、浦島が知っている街と比べると、あまりに無機質で、めまぐるしく動く世界だった。



浦島はどうしてよいのかわからず、ただただ茫然としていて、ふと、持っている箱のことを思い出した。



姫。



あれだけ愛し合って、永遠の時間を共に過ごしたのに、どうして自分は自ら姫を手放してしまったのだろう。



浦島は箱に手をかけ、重い蓋をあける。



すると、浦島はたちまち光に包まれ、意識がなくなっていった。



思うのはただ姫のことだけ。

姫に会いたい。









浦島が目をあけると、そこは再び竜宮城だった。



「浦島。帰られたのですね」

「姫」

浦島はただ黙って姫を抱きしめる。



「ごめんなさい」

「いや、いいんだ。君を置いていこうとした俺が悪かった」

「ごめんなさい・・・。連れてくる時に伝えておくべきでした。ここでの時間と、地上での時間の進み方には、大きなずれがあるのです」

「そうだったか。いいんだ。君とこうして一緒にいられれば・・・。ごめんな」

「でも、あなたは身体も失ってしまった・・・」

姫は泣いている。

どうやら、地上に降り立ち、箱を開けた一瞬で、数100年分の時間が過ぎ去ってしまったようだった。浦島は死んだのだ。

「俺はこれからどうなるんだい。君と一緒にはいられないのか?

「ひとつだけ方法があります」



それは、亀を助けたときから、浦島の人生をやり直すこと。

その代わり、これまでの記憶はすべて消えてしまうとのことだった。



「わかった。そうするしかないのなら、そうしよう。記憶は消えても、君を愛している心は消えないよ。約束する」

姫はただ涙を流して、うなずいていた。



「ではさよならですね」

「きっとまた会おう」

「はい。愛してます」



浦島はうなずくと、再び光に包まれた―――。









昔々、浦島太郎が海へ漁に出ようとしていたところ、何人かの子供が何かを囲んで面白がっているのを見つけた。

何かと近寄って見ると、少年たちが囲んでいるのは亀であった。

棒でつついたり、蹴飛ばしたりして、その様子を楽しんでいるようだ。



突如浦島は使命感に駆られ、一喝して、子供たちを追い払い、亀を海へ帰してやろうとした。すると、どこからともなく声が聞こえ、みると、亀が話しているではないか。

「助けてくれたお礼がしたいのです。私と一緒に竜宮城へ来ていただけませんか」

これは面白いと思った浦島は、亀と共に竜宮城とやらへ向かうことにした。

2013年3月23日土曜日

ティラミスの語源は「私を元気づけて」だそうだ



ティラミスの語源は「私を元気づけて」だそうだ。



コンビニで買ったデザートティラミスを食べながら、私はまさにそんな気分だった。



こういう時、一人暮らしの部屋はやけに広く感じる。



といっても、1週間くらい前までは、熱く恋しあった彼と一緒にすんでいた。



残されていった小物などもほとんど処分し終わり、彼が去ってしまったということにもようやく現実感が出てきたころだ。



どうしてこうなってしまったのか、という考えはいつも私を悩ませてくるが、そういうことは考えても仕方のないものだいうのが持論だ。

しかし、今回ばかりはさすがの私にも辛いものがある。

なにせ、若さゆえ、とはいえ、「もうこの人しかいない」と思うまで愛した人だ。

さっさと切り替えられるはずもなく、かといって考え込むのも性にあわず、そのやるせなさが、他の色々な問題も引き起こしていた。



他の問題の詳細はここでは省くこととするが、まあ、会社の人間関係であったり、ミーティングブッチしちゃったり、外に出ることが減ったり・・・ああ、彼がいないと、私はこんなにもさみしい女。



この気持ちにどうやって折り合いをつければいいのか、私にはわからなかった。



「君はほんとに楽観的だよね」



出会って間もないころ、彼にそう言われたことがある。



その通り、私は、持ち前のポジティブさで大体のことは乗り越えてきた。



でも、いまはそんなに楽しくいられないみたい。



ああ、誰か私を元気づけて。



デザートティラミスは美味しくて、私は久しぶりに泣いた。



2013年3月22日金曜日

愛していたのに、人生は大変だったよ



季節の変わり目に、今年もいろいろなことがあったなあ、としみじみすることはあると思うが、さすがに幼稚園時代を振り返る人はなかなかいないだろうと思う。

既に三十路も近いというのに、この季節になるといつも同じ光景が浮かんでくる。



私が幼稚園の年長さんだったころ、家庭はごく普通であった。

後から聞いた話によると、もうその頃すでに、父が借金をしていたりと、両親の間には亀裂が入りかけていたらしいが、幼稚園児の私にとっては、優しい父と母がいて、たぶん人並みには幸せだと感じていたと思う。



その中で、今でも思い出すことが一つだけある。



春咲きなど、園に花が咲き始めると、私たちは「押し花」をした。園の花をみんなでつみに行き、それをぺちゃんこに押しつぶす。

私はそれがどうしても嫌だったのだ。

どうして、綺麗に咲いている花をわざわざ刈り取って、無残に形を変えてしまうのか。

生意気ながらも私はそう感じていて、ひどい時は泣き出してしまっていた。



やがて諦めた先生たちは、私だけは押し花をしなくてもいいようにしてくれた。

けれども、仲間はずれになることが嫌だったのか、花を摘みに行く時は私も一緒についてゆき、みんなの様子を眺めているのだった。



その日、一人の男の子が、黄色く咲く花をまさに摘もうとしていた。それは、隣に咲く同じ花とともに、寄り添うように咲いていて、私がしばらく見とれていたものだった。



「だめ!



とっさに私は、その花をつかむと、男の子よりも先に花を摘み取る。少し喧嘩になったが、先生が介してくれたのか、そのあとのことはよく覚えていない。



その時、私は、人生においてたった1度だけの押し花をした。



それは、あの黄色い花と、隣に咲く花だった。



喧嘩をして悲しくなったのか、良心からだったのかはよく覚えていないが、ただひたすら泣きながら押し花をしたということだけは記憶している。



そして、そのことが、私にとってよっぽど重要なことだったのか、何10年も月日がたった今も、それだけは鮮明に覚えているし、暖かくなるころには必ず回顧するのだ。



ちなみに話を現在に戻すと、ちょうど季節が移りかわろうとしているところである。

仕事でたまたま4日間の休暇が取れ、彼氏もいない私は、電車で30分ほどの実家へと向かう途中、ふと押し花のことを思い出していて、帰ったらまだしまってあるか確かめてみようと思った。



夕方家につくと、父と母がいる。

私はよく実家に戻るので、ここはそんなに特別な場所でもなかった。

母は、最近ボケ気味で、父を困らせる。介護が必要なレベルではないが、このまま進むとかなり危険だろう。

いまも、夜ご飯を食べたばかりなのに、母は再び食事の準備をしていた。それを父がなだめようとする。なかなか言うことを聞かない母に疲れ果てたのか、父は途中であきらめて居間に戻ってきた。



「大変だね」

「大変だな」

「大丈夫?

「ああ。結婚するならこうならないようにな」

「うーん」

「はは。愛していたのに、人生は大変だったよ」



そういうと父はそれから黙って、再び母のところへ向かった。



ふだん「愛している」なんて絶対にいわない父なので、私は少しだけ驚いていた。父もそういうことを思うんだ。



あっ、と、私は押し花のことを思い出した。



捨てたらかわいそう、と言って、中学校くらいまでは同じ場所にしまっていたのだが、それからは、時々思い出すことはあっても、どこにしまっておく、というほど神経質ではなくなっていた。

だから、まだ同じ場所にあるだろうか、と不安だったのだが、案外それはすぐに見つかった。



埃をかぶった分厚い辞書に挟まった押し花は、かなり色あせた黄色へと変わっている。



あのとき、仲良く咲いていた2輪の花が、今もこうして、姿を変えて残っていた。



太陽やそよ風を感じることはできなかっただろうけど、2輪だけの世界であれから何10年もここで過ごしていたんだ。



私たちも同じようなものかもしれない。少しだけ何かにがんじがらめになったりしながら、それでも「意味」や「目的」を見つけて、やり過ごしていく。



そう考えるとなぜだか涙が出て、過去の自分と枯れた黄色い花に感謝した。



「愛していたのに、花生は大変だったよ」、なんて話しているのだろうか。

2013年3月21日木曜日

僕がニートになったわけ


とある国の鉄道業界が廃れたわけ。;


魚って、痛覚あるらしいよ



恐ろしい光景だった。



噂には聞いていた。



一度、海を出てしまえば、地獄のような苦しみが待っている。

特に、「魚食族」にとらえられると、目も当てられないほどになるのだ。

内臓や血はぐちゃぐちゃにかき回され、目は飛び出、充血し、しまいには個を判別できないくらい原形がなくなってしまう。

「魚食族」は、それを嬉々として愉しみ、嘲笑う。

そして、食うのだ。



子魚たちは、そろって震えあがった。

「じいちゃん。本当にそんな恐ろしい生き物がいるの・・・?

「ああいるとも。じいちゃんも、仲間が何匹もとらえられていくのを、見ることしかできなかった」

「そんなのありえないよ!そうやって子供に嘘をついて、大人はいつも好き勝手するんだ」

「でもじいちゃんが言ってるんだぜ。嘘なわけないよ」

「そうだ!じいちゃんはすげえんだぞ」

本当だ、嘘だ、と、子供たちは興奮する。


「静かに」



「よく聞きなさい。お前たちがどう思おうとお前たちの自由だ。じいちゃんの話を信じなくたっていい」

「ただ、どんなことが起きても、これだけは覚えておきなさい。それは―――」



「今日のじいちゃんの話、本当だと思うか?

「僕はじいちゃんを信じる」

何匹かが賛同の声を上げた。

「けどそんなに残酷なやつらがこの世にいると思うか?ああいって、また俺たちをだまそうとしているのかもしれない」

「だますって?

「朝起きたら、群れの大人みんなでバッくれて、子供たちをサメのえさにするんだ!

「そんなことお母さんたちがするはずない!

「フィリーのやつはそうやって喰われたんだろ!

「あれは事故だった!

2匹はにらみ合う。



「じゃあ試してみるか?

「なにを?

「本当にじいちゃんの言ってることは本当なのか。みんなで見に行って、確かめてみようぜ」

「そんなこと、出来っこないだろう」

「怖いのか?

「怖くなんかないよ」

「怖いんだろう。怖くないなら、確かめに行けないはずないもんな」

「僕はじいちゃんを信じているだけだ」

「だからお前はいつまでたっても子供なんだ。立派な魚になんてなれやしない」

「母さんがお前はただの不良だって言ってた」

「ふん。俺より泳ぎが下手なくせに生意気だな」

「なんだと」



「みんなはどうだ?何が本当なのか、確かめてみたくないのか」

乗り気なものとそうでないもの、半々くらいのようだ。

でもどうやって?

その中の誰かが言う。



結局勢いに乗ってしまったのがいけなかった。

苦しい。

仲間たちの何匹かは狭い水槽に入れられ、動きまわっているが、何匹かは外気に触れていた。2匹ほど、姿が見えない。

隣にいるやつはもうほとんど息をしていない。

死にかけだ。目がイってる。



「お前、大丈夫か。しっかりしろ」

話しかけたが返事はない。ぴくぴくと醜く生きているだけだ。

「意識をしっかり持て。海に帰りたくないのか」

そうは言ったが、自分も、そう長くは続かないだろうということは、はっきりとわかっていた。



見えるところでは、でかい魚が捌かれている。骨は露出し、赤く光る肉体が痛々しい。



僕たちは、巨大な「魚食族」が多く出現するという海域で群れた。

したことと言えば、ただそれだけで、曰く、やつらの仕掛けに自ら乗り、直接真実を確かめるという、幼稚な策であった。



「そんなことして、もし本当に戻れなくなったらどうするんだ」

「ありえないね。俺がそれを証明してやる」

「もし間違っていたら、みんなを犠牲にするんだぞ」

「いやならついてくるな。臆病者め」



言い返したい気持ちを押し込め、僕は帰ろうという意志を決めた。

出来るだけ多くの仲間を連れ、帰ろうとしたその時、突然世界の色が変わり、僕たちの距離は近くなる。



それが始まりだった。



その後、訳のわからないまま、放られ、詰められ、結局こうして氷の上に無様な姿をさらしている。



地獄のようだとは聞いていたが、本当にそれ以外に形容のしようがなかった。

周りには死にかけの仲間たち。

水槽にいるやつらだって、同じく死にゆく運命だろう。どこにも出口はない。

大量の魚が小さな箱に詰め込まれ、少しづつ少しづつ、命を失ってゆく。



仲間の内臓をえぐり、切り取ったやつらは、まるで馬鹿にしているかのように、切り取った肉をきれいに並べている。御丁寧に頭も添えて。

目玉だけをえぐり、妙な液体に浮かべられているのも見た。

信じられないくらい悲惨だった。

多くの魚食族がよってたかり、嬉々とした表情で仲間をつまんでいるのを、ただ黙って見ることしかできないのだ。

周囲には死臭が充満しており、吐き気しか感じなかった。

これを地獄と呼ばず何と言おう。



近くにいる仲間の意識が次々と消えてゆく中、僕は水槽にいるやつらを見た。

ちょうどその中の1匹が、必死に魚食族の手から逃げ回っているところだった。

しかし、逃げ場があるはずもなく、彼女はあっさりとつかまり、信じられないことに、そのまま頭をざっくりとモって行かれた。

彼女の身体は、かすかに動いていたが、すぐに内臓をえぐり取られ、息絶える。

ここにいた方が良かったのかもしれない。水槽にいる連中の精神は、壊れかけていた。



「ゆるさねえ・・・」



先ほどまで一言も発することがなかったので死んでいると思っていたが、皆を誘った張本人が口を開いた。



「生きていたのか」

「うるさい」

「喋らない方がいいんじゃないか」

「うるさい。俺はゆるさないぞ。あのじじいも。魚食族も」

水槽からとらえられた彼女は、魚食族のつまみにされていた。



「結局こうなってしまったのだから仕方ないだろう。諦めるんだな」

「俺はプライドを捨てない。じじいの言うとおりにしてたまるか」

「それがこのざまだろ」

「・・・こんなはずじゃなかった」



息が苦しいのか、彼は黙った。



「じいちゃんの最後の言葉、覚えてるか」



返事がなく、わからなかったが、意識があるということは気配で分かった。



「あれって、プライドを捨てるってことじゃないと思うんだ。諦めろってことでもない。じいちゃんは、希望を持つことを教えてくれたんだと思うんだよ」



「僕たちは何もできないくらいに小さいかもしれない。だからって、僕たちがあんな下品な連中に劣っているなんて、考えられないだろう?



「そりゃ怖いよ。僕だって、いくら、じいちゃんの話とは言え、あんな話、信じたくもなかった。お前の気持ちもわかるよ」



「僕たちは、魚であることに誇りを持つべきなんだ。たとえどれだけ醜い姿になろうとも。僕が言いたいこと、わかるかい?



「それが僕たちの、生きる意味なんだ」



「だってじいちゃんの最後の言葉―――それは―――」



意識が遠のく。



それ以上自分の声を聞くことはできなかった。