季節の変わり目に、今年もいろいろなことがあったなあ、としみじみすることはあると思うが、さすがに幼稚園時代を振り返る人はなかなかいないだろうと思う。
既に三十路も近いというのに、この季節になるといつも同じ光景が浮かんでくる。
私が幼稚園の年長さんだったころ、家庭はごく普通であった。
後から聞いた話によると、もうその頃すでに、父が借金をしていたりと、両親の間には亀裂が入りかけていたらしいが、幼稚園児の私にとっては、優しい父と母がいて、たぶん人並みには幸せだと感じていたと思う。
その中で、今でも思い出すことが一つだけある。
春咲きなど、園に花が咲き始めると、私たちは「押し花」をした。園の花をみんなでつみに行き、それをぺちゃんこに押しつぶす。
私はそれがどうしても嫌だったのだ。
どうして、綺麗に咲いている花をわざわざ刈り取って、無残に形を変えてしまうのか。
生意気ながらも私はそう感じていて、ひどい時は泣き出してしまっていた。
やがて諦めた先生たちは、私だけは押し花をしなくてもいいようにしてくれた。
けれども、仲間はずれになることが嫌だったのか、花を摘みに行く時は私も一緒についてゆき、みんなの様子を眺めているのだった。
その日、一人の男の子が、黄色く咲く花をまさに摘もうとしていた。それは、隣に咲く同じ花とともに、寄り添うように咲いていて、私がしばらく見とれていたものだった。
「だめ!」
とっさに私は、その花をつかむと、男の子よりも先に花を摘み取る。少し喧嘩になったが、先生が介してくれたのか、そのあとのことはよく覚えていない。
その時、私は、人生においてたった1度だけの押し花をした。
それは、あの黄色い花と、隣に咲く花だった。
喧嘩をして悲しくなったのか、良心からだったのかはよく覚えていないが、ただひたすら泣きながら押し花をしたということだけは記憶している。
そして、そのことが、私にとってよっぽど重要なことだったのか、何10年も月日がたった今も、それだけは鮮明に覚えているし、暖かくなるころには必ず回顧するのだ。
ちなみに話を現在に戻すと、ちょうど季節が移りかわろうとしているところである。
仕事でたまたま4日間の休暇が取れ、彼氏もいない私は、電車で30分ほどの実家へと向かう途中、ふと押し花のことを思い出していて、帰ったらまだしまってあるか確かめてみようと思った。
夕方家につくと、父と母がいる。
私はよく実家に戻るので、ここはそんなに特別な場所でもなかった。
母は、最近ボケ気味で、父を困らせる。介護が必要なレベルではないが、このまま進むとかなり危険だろう。
いまも、夜ご飯を食べたばかりなのに、母は再び食事の準備をしていた。それを父がなだめようとする。なかなか言うことを聞かない母に疲れ果てたのか、父は途中であきらめて居間に戻ってきた。
「大変だね」
「大変だな」
「大丈夫?」
「ああ。結婚するならこうならないようにな」
「うーん」
「はは。愛していたのに、人生は大変だったよ」
そういうと父はそれから黙って、再び母のところへ向かった。
ふだん「愛している」なんて絶対にいわない父なので、私は少しだけ驚いていた。父もそういうことを思うんだ。
あっ、と、私は押し花のことを思い出した。
捨てたらかわいそう、と言って、中学校くらいまでは同じ場所にしまっていたのだが、それからは、時々思い出すことはあっても、どこにしまっておく、というほど神経質ではなくなっていた。
だから、まだ同じ場所にあるだろうか、と不安だったのだが、案外それはすぐに見つかった。
埃をかぶった分厚い辞書に挟まった押し花は、かなり色あせた黄色へと変わっている。
あのとき、仲良く咲いていた2輪の花が、今もこうして、姿を変えて残っていた。
太陽やそよ風を感じることはできなかっただろうけど、2輪だけの世界であれから何10年もここで過ごしていたんだ。
私たちも同じようなものかもしれない。少しだけ何かにがんじがらめになったりしながら、それでも「意味」や「目的」を見つけて、やり過ごしていく。
そう考えるとなぜだか涙が出て、過去の自分と枯れた黄色い花に感謝した。
「愛していたのに、”花生”は大変だったよ」、なんて話しているのだろうか。
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