2013年3月21日木曜日

僕がニートになったわけ


とある国の鉄道業界が廃れたわけ。;




それは、本格的な道の整備により、車にとって代わられたからなんだけど、本当の理由は、彼らが本当に提供しているものは何かということを忘れてしまったからだ。



鉄道が生み出す1番大きな「価値」っていうのは「交通手段」なわけで、にもかかわらず、時代遅れな「鉄道」を発展させることしか考えていなければ、当然、人々のニーズを見誤り、結果;新しいものに取ってかわられることとなる。



そこで、各業界が真に提供したいものは何なのかということに焦点を置きたい。



食品・IT・不動産・金融・医療・政治・電力、彼らが共通して生み出そうとしているもの;「価値」とは何か。ここでは、提供する価値の理想形を考えることとし、それを「物質的」「精神的」双方含む、「豊かさ」と呼ぶこととする



いま、本当に提供されるべきなのは「精神的豊かさ」で、また、将来それによって「物質的な豊かさ」も手に入れることができるようになる豊かさ、ではないだろうか。



というわけで、出版業界の行く末はどこなんだろう。「活字離れ」は確実におこっているわけで、それはTVから動画への変化に似ている。Webは本当にいろんなことを可能にする。



僕はインターネット依存症だ。



朝起きてすぐに、そのまま漫画、動画を見、大量な時間を2chについやした後、Twitter1日に4桁はつぶやく。

生活の最優先事項がインターネットで、食事もトイレも行かずに、1日の大半を引きこもって過ごしている。

ネットをしていない時間が苦痛で、パソコンがない生活なんて考えられなかった。



ここから、前述の鉄道うんぬんとは全く関係のない話がはじまるのだが、何が言いたかったのかというと、ネット依存症だからといって、正常に思考できないほどイっちゃってはいないということだ。



逆にいえば、偉そうなことをいっていても、僕はただの人間のゴミでしかない。



名前は、そうだな、少年A、だとありがちか、少年B、いや、Cにしよう。

僕のことはCと呼んでほしい。



僕は頭が良かった。



何を主張したいわけでもない。

事実、「頭が良かった」のだ。



父親の仕事で、12歳まで海外にすんでいた。



物ごころつくころには、基本的な読み書きに加え、高校レベルの数学は理解することができた。



僕は、飛び級制度により、10歳で大学を卒業し、その後の2年間は、メディアや教育機関等より受けた奨学金と称する金をつかい、ヨーロッパを放浪することにする。

理由は、いってみたかったからだ。



お金だけはあったので、困ることはなかったが、何をするでもなく旅をするということが、僕にとってどういうわけか苦痛であった。



白紙に、「好きなものを書いていいですよ」といわれたときの、うまくいえない不自由と似た感覚だと思う。



目が覚めるようにきれいな景色。

偉大な歴史。

旅先の人々のあたたかさ。



僕はいっさいを楽しめずにすごし、両親のいる日本へ逃げるように帰ったのだ(その時点で両親はすでに日本にすんでいた)



それからは暗黒の日々だった。

何に対してもやる気がおきず、期待する世間や両親も、意識して遠ざけた。

暗黒というより空白といった方がいいのかもしれない。

僕は、何もしなかったのだ。



何をしても無駄としか感じられず、僕は動くことさえできない。

日本に来て10年たつが、最初の5年は文字通りほとんどなにもすることはなく、あとの5年で、オナニーや、おいしいものを食べるくらいのことをようやくするようになったのだ。



よって、ネット依存症という現在の僕は、かなり進歩した人類であると比較評価することができる。



鉄道業界が廃れたわけ;



それは、本格的な道の整備により、車にとって代わられたからだ。



しかしながら、本当の理由は、彼らが本当に提供しているものは何かということを忘れてしまったからだ。



彼らは、求められているニーズをよみ誤り、時代に流されてしまった。



では、今の世の中が求めている「価値」とは?



「豊かさ」とは?



物の豊かさ



みんなが欲しがっている



それは、心が豊かじゃないからだ



だから、何をしても満足できないし、だからこそ、物にたよりたい。



僕のことはCと呼んで欲しい。



誰か助けて。

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