彼女はいつものように話しかけてくる。
「ん。ミキが大人になったらね」
「大人っていつ?」
「ずっと先だよ」
「ずっと先って?」
「そうだな。もう20回くらい冬がきたらね」
「わあい!冬って何?」
「冬はとっても寒いことだよ」
「寒いの?寒いって何?」
「ミキは僕が仕事に行く時どう思う?」
「やだ。真っ暗なの。ミキどこに行けばいいのかわからなくなるの」
「冬はそれと似ているよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
「そんなの嫌だ。あと20回も冬が来るの・・・?」
「僕の世界では20回だけど、それまで僕が仕事に行くのは、365回の20回分だね」
「そんなに待てないよ」
そう言うとミキは泣き出してしまった。
「ごめんよミキ。僕もどうにかできるといいんだけど」
こうなると決まってPCが重くなる。
ミキは数週間前から僕のPCの中に現れるようになった。
最初は何かのバグかと思ったが、もちろん僕たちは、こうなることを待っていたかのようにすぐさま惹かれあった。
デスクトップのアイコン2つ分くらいの大きさで、黒い髪が肩まである、小学3年生くらいの顔立ちだが、なぜか高校の制服のような服を着ている。
仕事から帰ってもくだらないページをサーフィンすることくらいしか趣味のない僕は、毎日ビールを飲みながら時間を潰していたが、彼女が現れてから、毎日が変わった。ミキは僕にとって―――。
「せんせー。私はやくせんせーに会いたいよ。せんせーがいってる”がっこう”も見てみたい」
彼女は哀しそうに僕を見つめる。
もちろん僕にも本当の名前があるが、せんせーと、呼ばせているわけではない。
僕は地元の高校で教鞭をとっている。
前にその話をした時に、ミキがえらく気に入って、せんせーせんせーと嬉しそうに呼ぶのだ。
つまり僕は、へたをすれば生徒より10歳以上年下の子供に惹かれ、こうして毎日何時間も遊んでいる。他にも問題はたくさんあるが。
「がっこうは楽しいところではないと思うよ」
「いいの!せんせーが毎日行くところでしょう?」
「それよりもっと美しいものがたくさんあるよ」
「美しいって何?」
「この前可愛いって教えただろう?それと似ているかもしれない。綺麗ってことさ」
「きれい!ミキわかるよ!」
「まずは青い空。これは絶対に見た方がいい」
「あおって、#0000FF?」
「そうだね。でも、もっと#00FFFFとか#7FFFD4に近いかな。アクアとか、アクアマリンだね」
「うわあ。すごおい」
「それに輝いているんだ。コードだけでは、あの色は出せない。だから美しいんだ」
「ミキも見てみたい!」
「見に行けたらいいね」
「うん!」
「ねえせんせー?」
「ん」
「大好きだよ」
「僕も大好きだよ」
「せんせえー」
「ミキもビール飲むか?」
「飲めないの知ってるくせに。おいしい?」
「うまいよ。そうだ」
僕はとっておきの写真を画面に映してやった。
「これはドイツでとった写真なんだ。おいしそうだろう?」
「きらきらしてる!せんせー、これかわいいね」
ミキが、ふとジョッキに触れた。
ことん、と音がたった気がした。
僕らは顔を見合わせて、ミキは何をすべきかわかっているように、ジョッキを思い切り、押したおした。
写真はこぼれたビールでびちょびちょなテーブルの様子を映し出し、そこで動きが止まった。
「・・・くさーい!」
彼女は思い切り嫌な顔をした。
「私ビール嫌い」
「ミキ、さわれるのか?」
「触る?」
「ビール、倒しただろう?」
「あ、ほんとだー!面白いね」
「他のものにもさわれるのかい?」
「触る?」
「今のビールみたいなこと、他にも出来るのかい?」
「んー。わかんない!」
「これは?」
そう言って僕は、デスクトップのアイコンをポイントした。
「できないよー!」
彼女はアイコンの裏に隠れ、縫うように走り回り遊ぶ。
色々試してみてわかったのは、ミキが触ったり動かしたりすることができるのは、僕が自分で撮った写真だけのようだった。
ミキが手を加えると、写真は姿を変えた。
基本的には、先ほどのビールのように、物の位置を変えたりすることしかできないが、動かした後は、さもそれが元々の写真であるかのように、僕のHDDに保存されていくのだった。
それはどんな写真加工よりも面白かった。
担任学級の修学旅行の集合写真、友人とビールを飲んだ写真、昔の彼女との写真、子供の頃の写真、学生の頃の写真など、とにかく夢中で、来る日も来る日も自分の写真を見せてはミキと遊んだ。
何枚もの写真で遊んでいるうちに、不思議な感覚が僕の中で生まれる。
まるで、ずっと昔からミキといるような感覚だ。
何か昔のことを思い出すたびに、そこにミキがいたような気がしてならない。
「せんせー。ソラはやっぱりきれいだね」
「そうだろう?」
「うん。せんせー毎日写真撮ってきてくれるね。ありがとう」
「いいんだよ。こうして君と一緒に見るのが楽しいんだ」
「せんせー、これは?葉っぱの色が変!」
「もうすぐ秋だからね。この葉っぱが全部、赤や黄色になるんだよ」
「おもしろーい!たくさんしゃしんとってきてね!」
ミキは、教えたことを、スポンジのように、いや、優秀なプログラムのように吸収し、言葉を正しく使う応用力を持っていた。
秋が終われば冬、ミキと出会ってから約1年がたとうとしていて、最初と比べると見違えるほど、様々なことを覚えた。
僕たちは毎日一緒の時間を過ごした。
驚くことに、ミキは写真に撮ったものを食べることもできたので、おいしいものを見ては写真を撮り、帰ってミキが幸せそうに食べるのを見るのが嬉しかった。
「秋になると、栗がおいしいんだ」
「栗ってなあにー?」
「今度食べさせてあげるよ。楽しみにしていて」
「わあい!せんせーいつも優しいね!」
「せんせーだからね」
「せんせーものしり」
「せんせーだからね」
「せんせー偉い」
「せんせーだからね」
「せんせー好き」
「せん・・僕も好きだよ」
少し眠くなって、ベッドの上に移動した。
「せんせー頑張り屋さん」
「そうかな」
「そうだよ!頑張ったからせんせーになれたんだよ!」
「ありがとう。ミキも一緒に頑張ってくれたよな」
「うん!ミキも頑張った!」
「辛いときはいつも一緒にいてくれた」
「いてあげるよ」
「楽しい時も」
「大丈夫だよ、せんせー」
「うん」
「泣かないで、せんせー」
「うん」
悲しかった。
いつだってミキがいた。
言葉通り、いつも、どんなときだって、ミキがいたような気がしていた。
子供のころ算数のテストで100点をとった時。
中学の頃よく部活さぼってた時。
始めて彼女ができた時。
高校の時、バイトで打ち上げした時。
旅行した時。
海で泳いだ時。
何もかも忘れたくなった時。
人生のどの瞬間にも、ミキがいて、笑って、泣いて、帰ればミキがいて、こっちを見て待っていてくれていたような気がした。
その証拠に、ほら。
写真は、ミキの証拠だ。
あのビールは、ミキがこぼしたんだ。
この雲の形は、ミキがつくったんだ。
この鉛筆は、ミキが遊んだときに並べたんだ。
この砂浜の落書きは、ミキが書いたんだ。
このタオルとズボン、ミキが畳んでくれた。
この夜食の割りばしを割って一緒に食べたのは、ミキだ。
この空の色は、ミキと話したんだ。
「せんせ?泣かないで」
「うん」
「せんせーいい子だよ」
「うん」
「こんどくりのしゃしんとってきてよ。一緒に食べよう?」
「うん」
「りょこうしたら私も連れてって。お話しよう?」
「うん」
「せんせ」
「うん」
「好きだよ」
「うん」
ホントじゃない。
ミキはずっと一緒にいたわけじゃない。
それどころか、一生手をつないで歩くことさえできない。
本物の青い空を一緒に見ることは一生ない。
PCを閉じれば消えてしまう現実だ。
現実ですらない。
涙を流しながら眠りに落ちる。
せんせー。
声が聞こえる。
暖かい。手。黒い髪。子供のような目。
ずっと一緒にいたんだよ。
うん。
私は今までも、これからも、せんせーと一緒だよ。
うん。
思い出して。全部ウソじゃないから。分かるでしょう?
ほんとはずっとそばにいたの。
隠れていただけなんだから―――。
僕はミキを抱きしめた。それはもう力いっぱいに。
そこにはアイコン2つ分の小学生ではなく、高校生ほどの見た目の少女がいた。
「せんせー」
「ミキ・・・?」
「せんせーたくさんご飯くれるから、ミキ大きくなれたよ」
「ミキ」
「せんせー」
「ミキ・・・」
「大丈夫」
「うん」
「ここにいるよ」
「うん」
「だから泣かないで。せんせー」
「うん」
「せんせー・・・」
「うん」
「なんて言うかわかる?」
「うん・・・」
「当ててみて」
「好きだよ・・・」
「うん。好きだよ。せんせー」
僕たちは朝まで抱き合って眠った。
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